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太刀(其の壱~其の四)
小太刀(其の壱、其の弐)

刀(其の壱~其の十)
刀(其の十一~其の二十)
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短刀(其の十一~其の二十)
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ちょっと豆知識

子宝成就の御守り鉄滓

刀鍛冶が鋼を鍛錬(産み出す)時に鋼に含まれる介在物が熔け出し、炉の中に溜まった介在物のことを鉄滓(てっさい)といいます。刀鍛冶が使用する炉のことを火床(ホド)と呼ばれております。
女性陰部とお互い「産み出す」という意味で同義とされており、女性が出産したあとに排出される後産は、再び子供を授かるための表徴として、家の出入口や土間などに埋められて大切に扱われています。鉄滓も後産と同じく再生のため祭祀品として使用されており、古墳や中世の民家の遺構からもしばしば鉄滓が出土しております。先人の製鉄、鍛冶に対する考えには、頭が下がる思いです。
鍛錬後、炉の底から出てきた鉄滓






日本刀の原料 炭の話


 日本刀を作る際、鋼を加熱する燃料として木炭が使われております。木炭と言ってもいろいろあり、大きく分けて白炭と黒炭があります。白炭の特徴は、着火しにくく、一度付くとゆっくり燃えて火持ちが良く、熱量としては黒炭より若干少なめになります。一般的に良く知られている「備長炭」は白炭にあたります。一方黒炭の特徴は、着火しやすく熱量も白炭に勝るが火持ちが悪いのが難点であり、日本刀を作る熱源として用いられるのは黒炭にあたり、黒炭の中でも「松」が使用されております。火付きも良く、黒炭の中でも最強の火力を誇るが、火持ちが悪く刀一振に対して約100Kgの松炭を使用します。最初入荷の際は、円柱、四角柱、三角柱さまざまな形があり、長さが約二十~三十cmの状態のものを約二cm~三cmの四角体に切りそろえてから使用します。鍛冶屋の世界では「炭切り三年」という言葉があり、木の目を読み、粉を極力出さず思い通りの大きさに切れるには三年ぐらいかかりますという意味です。


    
     (炭切り前)     (炭切り後)
 

日本刀 炭の話 炭の大きさについて(追記)

 

 鋼を火床内に入れ、炭をぐべて風を送って鋼の温度を上げていくのですが、その際いかに風が抜けずにかつ滞らず、鋼を風で包こませるかが良い沸きの条件であり、最終的に良い地金にするための要素であります。
 その鋼を熱するという作業において重要な要素の1として炭の大きさがあります。炭の大きさは作業の内容によって変えていきます。基本、初期段階作業の鋼が大きい状態の時は炭は大きくし、作業が進んでいき鋼が小さくなっていけば炭も小さくしていきます。私の場合、大きい順から[卸鋼用、鍛錬用](大)、[鍛錬用、すのべ用](小)、[焼き入れ用](大)、[焼き入れ用](小)、[火床底引用]と5種類の大きさで作業を行っています。

 応用的に、火床の補修直後と補修直前、湿気の状況さらに、鋼の炭素量、体調、炭の焼け具合などさまざまな複雑な要素が絡み合っおります。、大きな炭に、上から小さな炭をくべ熱を籠らせたり、またその逆の作業で熱を逃がしたり、鋼を芯から熱するか、表面だけさらっと熱するかによって変えていったりしなければなりません。

 そのような複雑に絡み合った状況を把握し、素早く対応していき初めて日本刀として日の目を見ることとなります。(令和4年5月23日追記)









日本美術刀剣保存協会京都府支部 つどい記載「刀剣美について」









合気道探求記載「とわずがたり」










刀剣マナーについて

ある欧州からの客人に私が刀を手渡した際おもむろに胸ポケットからハンカチを取り出し、口にくわえ一礼してから刀を受け取った。その時私はハッと心を突かれ、その客人の行為が私を初心にへと帰らせた。現在私は刀を製作するという立場であり刀と言う存在は非常に身近で、傍にあることがごく自然で当たり前の中で日々送っております。その身近さゆえ、刀に対して心の緩みがあることに、しかも外国の方にこのようなかたちで教えていただくことに対して恥ずかしさを感じた次第であります。今年で作刀を初めて18年目となり、それぐらいになってくるとマナーについてなど誰も教えていただけません。そんな時に刀鍛冶の修業に入って間もないころに師匠、兄弟子、各職方、支部の先輩方に教えていただいたことが思い出されます。そこで鑑賞における作法について今まで教わってきたことを書き連ねてみたいと思います。

〔刀を目の前にして〕

・最初に刀と対峙した際、今まで大事に残して頂いた先人の方々そして今の所持者及び作者に感謝し刀に対して一礼をする。      

〔一礼した後、姿、地金、刃を鑑賞する。〕

・刀を支える袱紗(ネル)はあくまで刀身を支える当て布であって油を拭う物ではありません。それゆえむやみに上下に擦らない。上下に擦るとヒケの原因になります。地金や刃の鑑賞する箇所を変えていく際は袱紗(ネル)を棟角に添わしてスライドさせていく。また刀身に油がついて気になるようであれば、打ち粉を打ち、油拭い専用にしているネル等の布で油を取る。

・刀を素手で絶対に触らない。その時は大丈夫でも時がたつと確実に錆びます。

・刀を目の前にしておしゃべりをしない。唾気も錆の原因となり唾気が飛んだ状態で1~2時放っておくと打ち粉を打っても唾気のシミが取れなかったことがありました。

・鑑賞のするという目的の際は刀を絶対振らない。人に怪我をさせる可能性や刀を傷つける恐れがあり大事故に繋がります。

・そしてひと通り鑑賞を終えましたら、刀枕がある場合は刀を棟側から静かに置きか、所持者がいる際は刃側を自分の方に向けて直接お渡しする。そして最初の一礼と同じ様な気持ちで一礼して刀を後にする。

〔茎確認〕

・茎を確認する際の注意点といたしまして、この際も刀を目の前にしておしゃべりをしないというのは当然ですが、表裏銘を確認する際に刀枕を支点に刀を回さないこと。その理由は先反りの強い刀場合や長寸の刀の際に支点が真ん中に近い際などに刀を回した際先が下の台に触れ切先を損傷させる危険性があります。

刀は一振りとして同じ物は無く、非常に重要な日本の財産であります。それを自らの誤った行為で傷つけることは、許される行為ではないということを肝に命じ、まさに真剣に刀を扱う必要があります。刀に対して敬意を持ち、真剣に対峙して頂いたヨーロッパからの客人に教えられ、また私ごときの刀にそのように対峙していただいたことに感謝し、すがすがしい気持ちになったことは言うまでもございません。

 






日本刀製作における鍛錬は人間におけるストレス解除

    宮本武蔵の「五輪書」に“千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす”という所謂、鍛錬を示す名言が人口に膾炙しており、日本刀の製作工程の中においても“鍛錬”という最重要工程があります。“鉄は熱いうちに打て”などのことわざもこの鍛錬の工程にあてはまります。鍛錬とは折り返し鍛錬から造り込み、素延べまでの刀鍛冶の日本刀製作において初期~中期の工程であり、スラグの排除、ガスや気泡抜き、炭素の融合、粘り、しなやかさを出す為などの鋼の精錬及び強度UPが目的であり、その作業のもっとも重要なのは、鋼の温度管理です。スラグが溶けて、鋼が溶けない温度、各刀匠の処理温度帯に差はありますが、一般的に1200℃~1300℃といわれております。この温度帯での鋼の状態を“沸く”と表現し、この沸かしの良し悪しで日本刀の出来が変わってきます。そして、鋼の鍛錬の適温とされる“沸く”状態の温度帯より温度が上昇すると鋼が溶け出し、最悪の場合、鋼にひびが入り日本刀が途中で折れたりします。この適正より高い温度帯で処理して日本刀にひび(刀の欠点の表現でシナエという)や素延べ途中で折れてしまうことを“むせる”と表現します。一旦むせさせてしまうと元には戻らず、日本刀一振りに費やしてきた積み重ねがこの温度帯の見誤りによってすべてを台無しにしてしまいます。特に素延べの際は最新の注意が必要であり、万全の健康状態、集中力、そして道具や炉の雰囲気などの環境整備を確実に行ってから作業に入ることが必須となります。この“沸く”と“むせる”は修業中から使用されていた表現であり、その2つの言葉を関連づけることを考えることもありませんでした。

 独立してからまもなく、鉄工所を経営されている方とお話させて頂いた際、鋼の鍛錬の話になり、“沸く”前の状態を“笑う”と表現するお聞きしました。なんでも父親がもともと刀鍛冶をしており、沸く前の鋼の状態を“笑う”と表現されていたそうです。そしてこの“笑う”という表現をお聞きした際、沸くとむせるの関連性を感じさせました。ここからはあくまで私の考察となってしまいますが、人間のストレス解除の方法を日本刀の鋼に当てはめ、ストレスの原因を鋼に介在するスラグと想定して“笑い”によってストレスの軽減をはかり、その笑いが単称から複称に変わることによって“沸き”となり、その状態がストレス軽減における最高潮を迎え、さらに沸き状態の度が過ぎると人間おいても鋼にしても害や無理が生じるこことなり“むせる”ことになる。

鍛冶作業や日本刀において“相槌を打つ”や“反りが合わない”など古来より数多くのことわざが存在しており、そのような作業や部分の名称などが人の行動や性質に結びつけられることから鋼の鍛錬からもそのような比喩的発想があってもおかしくなかったのではないでしょうか。

いつもながら現代人には無い先人の発想力や想像性には頭が下がる思いが致します。

 






テコについて

 刀で言う“テコ”とは作刀する上での“折り返し鍛錬”という作業工程で使用する仕事棒のことであり“テコ棒”“てこがね”“テコ鉄”などとも表される。刀剣の鑑賞本や指南書など数多く出版されているが“テコ棒”“てこがね”“テコ鉄”について記されてことが少ない。しかし決して重要度が低い訳ではなく、作刀においては最重要事項といっても過言ではありません。
 刀剣書籍などでは、虎徹の“てこがね”が有名であり鎺元2寸~3寸あたりに大肌交じりの弱い鉄が出るとあります。これは、作刀において、“てこがね”が混じって大肌や弱い鉄が出るのではと推測されていますが、それは一理であり実際には江戸時代の作者がゆえ、それが“てこがね”かどうかは不明というのが実際の所であります。
では作刀においてテコ棒(作刀においてはテコ棒と称することが私の場合は多いので以下よりテコ棒に統一)について考えつくままですが述べていきたいと思います。      まず長さと厚みですがこれは仕事のやり方や環境によって違いますが、テコ棒は使用していくと減って行きます。長さに関してですが、私の場合約2尺(約60cm)を基準とし1尺7寸程度まで減ってくればテコ材を補充して2尺より2寸ほどの長さを最長とし、テコ棒の長さを調整しております。
 厚みに関してですが、15mm角を基準として作業の工程によって先を少し厚くすることがあります。(図1)
 次に使用する材料についてですが、日本刀を最初に鍛錬する時、積み沸かしの際にテコ棒の一部を台にして混ざり合い(図2)、卸鋼の場合においてもテコ棒の一部が混ざり合うことになります。(図3、図4)即ちテコ棒の一部は刀の一部となるということであり、その為、材料においてもおろそかには出来ないこともわかって頂けるはずです。積み沸かしの最初は図2のようにテコ棒の上に平たく潰した玉鋼を乗せていくことから始まります。これを積み沸かしを何度か繰り返すことによって大きな塊としていきます。
 卸鋼の場合は直接鋼の塊にテコ棒を沸かし付けを行って折り返し鍛錬に入ります。
 テコ棒の材料は鍛錬をする鋼と同じ材料を使用します。あまりテコ棒と刀本体となる鋼とが違いすぎると沸かし付けにおいてしっかり鍛着しない上、鍛着したとしても鍛着力が弱く、すぐに脱落して事故の原因ともなりかねません。そして作業が問題なく行えたとしても最終的な刀の仕上がりに重大の欠点が出るリスクも増えます。
 またテコ棒と鍛錬する鋼を同じ物を使用するに致しましても、炭素の調整を行う必要があります。テコ棒を低炭素に偏ると鍛着性が悪くなったり、刀となる鋼全体の炭素量を落とすことになります。逆に高炭素に偏るとテコ棒全体の融点が低くなり、テコ棒の強度が落ちるばかりではなく、炉内で鋼を沸かしている途中で溶けたり、鋼を叩いている途中で折れる事故の原因ともなります。また刀となる鋼全体の炭素量を上げることにも繋がります。
 さらにテコ棒その物の材料の折り返し回数も少な過ぎると強度の不足となり、折り返し回数が多すぎると、刀となる鋼との混ざり合いが悪くなるので、考慮すべき点である。
 テコ棒は刀となる鋼を鍛える“折り返し鍛錬”を複数回行うと、どうしても細くなっていきます。細くなったまま作業を続けていると、刀となる鋼とテコ棒がねじれて来たり、折り返し鍛錬の途中でテコ棒が折れる事故の原因となります。
次の工程として又新たに刀となる鋼とテコ棒を鍛着し直さなければなりません。
折り返し鍛錬を複数回行った鋼は、鋼自体に強度と粘りが出ているのでテコ棒の付く場所を絞り、テコ棒が嚙みやすいように凹みをつけてテコ棒と沸かし付けをする。(図5、図6)この方法によるテコ棒と鍛錬する鋼の鍛着は、折り返しにテコ棒部分を巻き込まないように考慮しながら、折り返し鍛錬をすることによって、テコ棒が鍛錬する鋼と混じりあうことがなくなるので、最初に使っていたテコ棒とは種類を変えて、より強靭さだけを求めたテコ棒に変更できる。
 最後にテコ棒は弟子時代、1番最初に鋼の沸かしというものを習得させて頂く機会であります。師匠がいかに本鍛錬をスムーズに気持ちよく行って頂けるか、良い刀を生み出されること、事故なく安全に作業できるようにと常に考え一つ一つ作業大切さを身に着けていく大切な作業でありました。独立した今このテコ棒の重要さをさらに感じており、その思いは今後も変わらず持ち続けることでしょう。
 
(図1 テコ棒全体)
 
 (図2積み沸かし最初)
 
(図3卸鋼)
 
(図4卸鋼)
 
(図5)
 
(図6)





作刀から見る目釘穴考

何気なく空いている目釘穴。姿形、地刃に紛れて見逃してしまう目釘穴。存在感の薄い目釘穴。しかし日本刀には意味のないものは無く、目釘穴においても最重要の1つであり、一切の無駄を排除した武器であるからこそ今日まで人の心を掴み続けています。

 さてこの目釘穴、刀剣書にいろんな形があると書かれておりまして、丸、四角、瓢箪、隧道など千差万別ですが、それは今回のテーマとせず、作刀において目釘穴のどのような所を注視して製作しているか、目釘穴の決め所をテーマにしていきます。

まず、いつ作刀の際目釘穴を空けるか、私の場合、焼入れ、姿出し、茎仕立てを終えて、一旦研師さんに改正砥程度まで下研ぎして頂き、鎺を作って頂く前に目釘穴を空けます。単に空けるといってもどこでもいいというわけではなく刀工個人差はありますが、一定の法則が守られた上での位置差であります。まず最低限守らなければいけないこととして、拵えを意識した目釘穴の位置決めしなければならないということです。

まず刃区、棟区を線で結んだ位置から目釘穴までの距離です。拵えの場合は茎に鎺、切羽1対、鍔が入ります。それに縁と柄巻きの駆け出しを考えに入れ、そのすべての厚みの積算した値より刃区、棟区を線で結んだ位置から目釘穴の距離はプラスになることが最低条件であります。

しかし目釘穴を茎尻方向に下げ過ぎてしまうと目貫位置に支障が出る恐れがあるので気をつけなければなりません。

次に刀身を立てて見た場合、左右の目釘穴の位置ですが、基本的に左右の中心が基本となります。しかしここで重要となってくるのは、刃区、棟区からの茎のもって行き方、茎の振りというのですが、この振りが棟側に多く振ってしまいますと、白鞘及び拵えを製作した際、柄と鞘のバランスがとれず、そのバランスを取るのに柄の厚みの範囲内で納まればいいのですが、(しかし鞘師さんは苦労をされる)柄の厚みの範囲に納まらない場合、柄の目釘穴の位置が中心よりずらすか、最悪の場合、バランスが取れないまま仕上げるか、目釘穴の空け直しをしなければなりません。逆に茎が刃側に振りすぎるということは刀身全体のバランス的に「く」の字状に見えて非常に不恰好になってしまいますのであまり刃側に大きく振るというのは行かない傾向にあります。このバランスとは見た目のバランスというのも然りですが、もっと重要なのは武器としてのバランスであり、居合などでの手持ちのバランスや刀を抜いて相手と対峙した際の切先の位置などにも影響するので安易に考えることは許されません。

次に目釘穴の断面構造です。真ん中を狭くし両外側を広くする所謂、両鼓の形にすることにより目釘と目釘穴が刀の真芯で固定され且つ当り面も広くソフトな為、目釘も傷つけず折れにくいと思われます。各刀工によって考え方は違うと思われますが、私自身のこの断面構造が最善と思われるのでそうしております。

最後に新作の場合、刀身の全体のカッコ良さばかりにとらわれ、つい後に続く諸工作、拵えを含めた全体像を見失いがちになってしまいます。目釘穴一つ空けるのにも疎かにせず、一つ一つの工程を確実に、最終仕上がりをしっかり念頭に置き作業を進めていく必要があります。

 





日本刀の製作振数について

 

「刀鍛冶さんは年間何振りぐらい刀を作るのですか」

上記の言葉は、私が日本刀を作っていると伝えた際に相手から発せられる質問で最上位に位置する質問です。

この年間製作本数、しっかりと銃刀法という法律で決まっているのです。

しかしなぜ本数が決められているのか?少し紐解いていきたいと思います。

2次世界大戦終戦後、ポツダム宣言の受諾によって出された勅令300号「武器等製造禁止令」により刀を作ることが法律で禁止されました。

また、連合国軍総司令部により「民間武器回収命令」において作刀だけではなく古い刀まで没収されるという事態であり日本刀を武器とみなし一切排除する方向に向かいました。

私の師匠、月山貞一の著書「日本刀に生きる」にもその当時の苦労が記されております。

しかし、日本刀は武器というだけではなく、美という観点からも日本人に根付き、日本の文化そのものであるということを刀を守りたいという有識者の働きかけもあり、昭和二十八年「武器製造法」が制定施行されました。それにより文化庁(旧文化財保護委員会)の承認を得れば刀が製作できるようになりました。
 その為、日本刀は武器ではなく、日本の文化、日本の美として製作が許可されたということであり、しっかり美に則したものを製作するには、それなりの日数が掛かるであろうということであり、「太刀、刀、脇指の場合は十五日以上」「短刀の場合は十日以上」要しなさいということになりました。年間本数に直すと最大二十四振り~三十六振りの製作本数になります。

それと少し余談となりますが、刀匠になる為には文化庁主催「美術刀剣刀匠技術保存研修会」を受講し修了しなければなりません。一定の師匠の元、最低満四年の修業を経過したものが受講でき、修了できれば満五年で刀匠としての製作申請が降りるということになっております。美術品を作るの最低限の技術を要しているかを見るのが研修会の目的であり、世の中に美を伴わない粗悪品が出回らないためする方策に一つでもあります。

 日本刀を製作するにあたってまずしなければならないことが「美術刀剣製作承認申請書」の発行です。種別(太刀、刀、脇指、短刀)と製作期間を明記して地元の都道府県の教育委員会に三通提出、承認を得て、三通のうち一通を製作途中の日本刀に付属させます。即ちこの「美術刀剣製作承認申請書」が日本刀製作過程においての「銃砲刀剣類登録証」の代わりとなるわけです。

この「美術刀剣製作承認申請書」内にある製作期間が太刀、刀、脇指の場合が十五日以上、短刀の場合は十日以上製作日数を取らなければ許可が下りないということになっていますので、おのずと製作本数にリミットが出てきます。

 そして日本刀が完成した際は「美術刀剣製作承認申請書」と「美術刀剣製作完了報告書」を添え銃砲刀剣登録審査において登録審査委員二名以上の審査において美術品に則した日本刀であるということを認めて頂きことで「銃砲刀剣類登録証」が発行され世の中に陽の目を見ることになります。

 最後に終戦後「武器等製造禁止令」において日本刀が作れなくなった刀鍛冶の落胆と苦悩は平和な時代に生まれた私にとって想像し難いものであります。今こうして制約がありながらも自由に日本刀が製作できること、先人の方々の多大なる努力に感謝しなければなりなせん。

 






綾杉肌について

 

日本刀の地鉄には地肌という模様が観られ、それは鍛錬法の違いによって変化します。一般的に多くの日本刀に観られる、杢目肌、板目肌、柾目肌は木を挽いた際、木の肌目の状態を地鉄の肌模様の状況に当てはめているのですが、綾杉肌と聞いて一体どのような肌なのか実際これが綾杉肌ですよと見せられなければ想像も出来ない人が多いのではないでしょうか。ある方から「田中さん綾杉肌って何気なく言っていますが知らない人か結構おられると思います」と指摘され、私も恥ずかしながら弟子入りの面接の際、綾杉肌のことを師匠からお聞きして知らなかったのが現状です。

まずこの「綾」という意味辞書で調べると、「斜めに交わった模様」「特に苦心した、文中の言い回し」「表面的には見えないが、たどると見えてくる社会や世の中の入り組んだ仕組み」などが載っていましたが、ここでいう「綾」は斜めに交わった模様が一番一致いたします。

では次に「綾杉」を辞書で調べると「杉の薄板を網代のように編んだ垣」「猿猴杉(エンコウスギ)の別名」とあり、猿猴杉の葉の部分が長い葉と短い葉が交互に付くことを綾杉と表しており、ここで言う綾杉は猿猴杉から由来ではないかと考えられます。

そして古来より綾杉という言葉は綾杉文様として用いられており、相対する斜線が上下に配置された形状のことを綾杉文様と呼ばれており、古くは、弥生式土器や銅鐸の意匠としても用いられています。

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          (綾杉文様)

また近世になってからも三味線の胴の内側に綾杉文を刻んだり、漆器の文様としても用いられます。 

しかし日本刀で言う綾杉肌は一見して波状肌に観得てしまうのですがそこを綾杉肌と表現した先人の目に頭が下がる思いでした。

確かに一見するとただ単なる波状肌ですが、綾杉肌の一つの山または一つの谷を半分にした際、相対する斜線が上下に配置されていることが確認されます。それは肌自体に単純なる線での構成ではなく、いくえいにも複雑に構成する奥行きのある肌を綾と証し辞書で調べた「表面的には見えないが、たどると見えてくる社会や世の中の入り組んだ仕組み」に通ずるものを先人も感じてからこそ綾杉肌という表現をしたのではないでしょうか。

それゆえ綾杉肌というのは、ただ単に鉛筆で線を描いたような物ではなく、肌目1本1本に強弱、太い細い、色の微妙な変化、山と谷の微妙な高さの違い、谷に出た自然な杢などが折り重なり綾となり地鉄に潤いと立体感が生まれたものを綾杉肌と表するのではないかと感じる次第です。






生ぶ刃について

新作刀の特徴として「生ぶ刃」というものが必ず存在します。

生まれたての刃とかいて「うぶは」または「うぶば」と読みます。

それでは生ぶ刃はどこに付いているのと申しますと、いえいえ付いておりません?実は日本刀の刃区から八cm~十五cmの間を刃をピンと付かずに斬れない状態において置くのを生ぶ刃と言います。

刀、太刀は生ぶ刃の部分が長くなり、脇指、短刀の場合は相対的に刀、太刀よりも生ぶ刃の部分が短くなります。

なぜ刃区から八cm~十五cmの間を刃を立てないのかは意味があり、もともと刃として斬るという行為を行うのは「物打ち」と呼ばれる切先から刃長全体の真ん中を結んだその中間ぐらいで斬り付けを行い、短刀は斬るというより突くを主流といているので元の刃を立てて刀身を減らすより、少しでも刀身の肉を持たして強度を保とうという考えであるといわれています。

生ぶ刃において新作刀だけではなく現代刀はもちろんのこと幕末の刀にも多く観られ、まれに江戸時代初期~中期の刀にも観られるそうです。生ぶ刃は時代とともに磨耗、研磨を繰り返していくと無くなっていきます。それゆえ生ぶ刃残っているということは健全な形で現存している証となっています。即ち古い日本刀で生ぶ刃が残っていることは大変喜ばれます。

御所望頂いた施主様、そしてこれから御所望頂ける施主様、元に刃を立てないことは、不良品でも手抜きでもございません。何卒ご理解のうえ宜しくお願い申しあげます。

 

 





刀鍛冶の利き手

 なにげなく刀鍛冶の作業風景を見ているとほとんどの刀鍛冶が右手で小槌を振っているのに気が付きませんか。それでは皆さん右利きはまずそんな筈もありません。刀鍛冶においても一般の利き手比率と同じ割合の左利きの人がいます。ではなぜ皆さん右手で振っているのか、それは修行中に右に矯正されているからです。そして私し貞豊も左利きであり刀鍛冶の作業を右に矯正した一人であります。
 修行中、刀鍛冶の作業を最初に覚える際どうしても左手で作業したい衝動に駆られながらぐっと我慢し、大槌、小槌を振るのから、炭切りの鉈、ヤスリ掛けなどを右手で行えるように矯正して行きました。やはり最初はただでさえ難しい鍛冶仕事をスムーズに行える訳もなく当時は作業を右手でこなせるようにと必死でやってましたが、今から思えば多くの時間をかけ、稚拙な仕事しか出来ない私に、多大なる迷惑と我慢を先生にしいてしまっていたのかと恐縮する次第です。
 ではなぜ左を右に矯正するのか
それも至って簡単な理由であり作業場が左利き用に配置されていないので左手で行うには作業や行いづらかったり、もしくはできなかったりすることがあるからです。
 最初に申しましたが刀鍛冶においても一般の利き手比率と同じ割合の左利きの人がいるのですが、ほとんどの刀鍛冶が作業を右に矯正していますので誰が左利きかがほぼ分からず、交流においてのおしゃべりでお互い左利きであることわかることが多くあり、共有できる修行中の苦労話などでぐっと親近感わいたりすることがあります。
 ではまったく左で刀鍛冶の作業はしないのかということになりますとそれも各個人差があるのですが、私の場合は、刀身彫刻と銘切りは左利きがスムーズに行える持ち方、左手で豆槌を持ち右手で鏨を持って(右利きの人は逆)作業しております。刀身彫刻においてはどちらでも作業利便上同じような気がしますが、銘切りにおいては手暗にならず左利きが行い易い作業ほうが有利と私は感じております。
 そうしたら両方の手で槌が振れたり、ヤスリ掛けができるのかと思われがちですが、私の場合は左手で槌が振れたりヤスリ掛けは出来ないのが残念でです。
 左利きであるため幼き頃から右に矯正、矯正(お箸や書き物も右手に矯正)であり何一つ良いこともないような気もしましたが、今となっては自分で気が付かないだけで左利きでもいいことがあったのであろうと感じております。世の中自分の努力だけではなんともならないことが多々ある中、左を右に変えること、自分だけの努力で何とかなるのですから、大きな目で見ると、まぁたいしたことではないですね。





鏨枕(タガネマクラ)

 刀鍛冶作業の中で最後の山場(私の主観であるが)銘切りという作業があります。銘切りとは作者が責任と誇りを持って刀の茎に自らの名前を入れることを言います。銘は「切る」もしくは「刻む」と表現し「彫る」とは表現致しません。それは作業工程においての銘の入れ方によるものであります。
銘切り作業は鏨と鎚を用いて行われる作業であり、鏨は先がV(ブイ)の形状をしており鎚を叩いて鉄を押し広げて銘を表現致します。この鏨のVの角度や鎚の大小、叩く力の強弱によって細い銘、深い銘、広い銘になったりさまざまであります。この作業はVの鏨で鉄を押し広げるので鉄の削り滓が出ません。それゆえ「彫る」という表現ではなく「切る」もしくは「刻む」という言葉で表現されます。
 余談となりますが、わたしにとって銘切りは作刀工程において最後の山場となり、今をもっても一発勝負の大変緊張をしいられるあります。常日頃の心身の安定に心がけ銘切りには自然光を多く取り入れられる天候の良い日を選択し光の安定の為北側の自然光を取り入れます。当日には銘切り以外の予定を入れずその日は銘を切ることにだけ集中することにしております。また本番の刀に銘を切る前に一般に市販されている板鋼材を使って銘切りの練習なども行います。
 他に銘切りが終わり安堵の気持ちで鎺を収めようと思った所、鎺が鏨枕に引っかかって刃区、棟区まで上がっていかないということが過去何度かありました。特に目釘穴より上に銘を切るときは要注意でその際は白銀師さんにその旨を伝えて鎺の側面に少し隙間を開けてもらう様にしなければなりません。(鏨枕が引っかかって鎺が上にいかない場合は鏨枕を削るのではなく鎺の側面を白銀師さんに削って頂きます)
 本題に戻りまして、Vの鏨で押し広げて銘を表現するということは、Vに窪んだ回りの部分が盛り上がるということになります。その盛り上がった部分のことを「鏨枕(タガネマクラ)」と言われております。
  現代に作られた刀はほぼこの鏨枕は存在しており、新作刀になると手に取ると鏨枕の存在感をひしひしと感じられます。この鏨枕も経年のうち角が取れ丸くなり徐々に取れていきます。よく刀の数寄者が古い刀において鏨枕がまだ残っており健全な刀とか鏨枕が立ち過ぎて偽銘の可能性があるとか鏨枕を用いて鑑定したりすることがあります。 
 刀の銘において大きく全体のバランスなど観るのも良し、小さく鏨枕や文字の跳ねなど観るのも良し、いろいろと悠久の刀の歴史を楽しめるのではないでしょうか。






懐刀について
 懐に納める短刀としての目的の懐刀ですが、小ぶりで扱い易いという利点もあり施主様におかれましていろいろな思いと目的でご所望されております。
 自らの為所持したい方はもちろんのこと、親から子へ、祖から孫へ、兄弟から姉妹へとお守りの気持ちを乗せて贈られる方も多くおられます。
 作る側と致しましても小さいから容易というわけでもなく、刃紋のバランス、地金の具合、姿の出し方など小さいゆえの難しさがあり、刀と違い一見で破綻した所も目立ちやすいので、作業工程において気を抜く所は一つもないのが現状であります。現在においても出来の悪さゆえボツにしてしまうことよくあり未熟さを感じる次第です。
 そしてようやく荒身の段階まで進み各職人さんの工作をお願いして完成致しますと無事に上がってきた安堵の気持ちと小さくても、大きな刀と同じ、匂口、刃中の働き、帽子、地金の肌、色、全体の姿を楽しめ、いいものだなと思います。
    上記に出ました帽子に関連付けて少し「嫁入り短刀」見解(個人的)を述べていきます。
嫁入り短刀の帽子におきまして「かえり」付けないのが嫁入り短刀の特徴ですと私の修業中から聞いておりまして、そういうものだと思っていたのですが、その件に関しては少し疑問を感じる所がありました。独立してから過去の懐刀と呼ばれるサイズの短刀を観ていますと、幕末から明治時代初期にかけて多くみられます。懐刀のサイズであるならば嫁入り短刀にも多く用いられたのではと思われますが、帽子に「かえり」のないのは私自身は皆無でありました。
 ではいつからこのようなことが言われ初めたのか、明治時代から時代を下がっていくと嫁入りに持って行ったと思われる短刀があり、戦前から活動されておりました刀匠が戦後作った嫁入り短刀には「かえり」が入っており確かに私の師匠、二代目月山貞一師匠の「かえり」のない短刀は大和伝以外に観たこともないので、個人的見解となりますが、嫁入り短刀=「かえり」がないは戦後に広まった風説ではないのではと思っております。
 私自身が嫁入り短刀を制作させて頂く際、一時期の婚礼に使うのではなく、嫁いだ後も、人生の節目において座右の短刀として使用してもらいたいと願っております。
 その子や孫までも受け継いでもらえれば願いを込めて「かえらない」=(去る)よりも「かえる」=(得る)の意味も込めて、少しの「かえり」もあってもいいのではとご提案させて頂いております。(令和三年七月追記)





日本刀と免疫力
 私が刀を鞘から抜き、研身と対峙した際おこる現象は体温の上昇である。
 修業中や独立当初はこの現象が億劫に思われ、冬場は暖房を消して抜刀作業をすれば良いのですが、夏場冷房のない所では額と手に汗が湧いてきて刀身に対し非常に気を遣うことになってしまいます。なぜこのような体温上昇の状態になってしまうのか推察してみました。まず刀を抜刀する際、正座で行います。そして刀を自らの臍中心に柄元部分を持っていき鯉口部分の右手は柄、左手は鞘を持ちゆっくり刀身を抜きます。その一連の動作において両腕の脇がしまり背筋が伸びるので腹式呼吸におのずと変わります。
 抜刀後は例えて言うなら、目に障ることがなく無理のない姿、深い淵を覗き込むような潤いある地金、太陽が昇る前の明るくてらす水平線のような匂口等、刀が持つ美に触れ心和ませます。また心の持ちようで、他人そして自らを傷つける、武具としての厳しさと緊張感が合い混ざりあって体温が上昇していくのではと考えられます。当初この体温上昇という現象が億劫でしたが、しかしこの一連の動作は身体にとっては非常に良いことばかりであり、背筋が伸び腹式呼吸となり、自然との対比美を感じ、武具としての厳しさと緊張感も得られる、これらの行為によってもたらされる身体の変化は免疫力の向上に繋がる良いことばかりであり、今では自らの心と身体の為、定期的に欠かせない良い習慣として進んでおこなっております。
 例外として研ぎ師さんから不具合が出ましたと返って来た刀を抜いた瞬間は、本当に背筋が凍ります。(令和三年八月追記)





「志」

宮本武蔵著「五輪書」水之巻にて“千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬となす”という言葉があり、小生も会社員を辞し平成六年七月十六日に刀鍛冶を志し修業を初めてから万日に達することが出来ました。千日の“鍛”は弟子入り中に迎えましたが、その時は無我夢中でようやくここまでたどり着いた感じでした。そして万日の“錬”を迎えた心中は、刀鍛冶として歩んできたという感覚よりも、刀鍛冶として生かされているという感覚が強かったように思えます。努力するのは当たり前、やはり今日あるのも良い出会い、不本意な出会いを含めて皆様のおかげであることが一番の真実であるように思えます。

これから更なる次の万日の道を、畳三枚分を視野におき“能々吟味有るべきもの也”進んでいければと思う次第です。(令和四年一月一日)



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